会長のひとりごと

    
■ジム設立に至った想い。
私は随分前から、ある病気を患っている。
病名は 「夢見病」だ。
たった二つの拳から大きなドラマが生まれ
る。私はそんなボクシングに魅了されてし
まった男の一人だ。
リングという舞台の上で、選手と共にドラマを創り出したい。
そして、観客に夢と希望と感動を与えたい。ボクシングが単なる殴り合いのスポーツでは ないことをより多くの人に知っていただきたい。
ドラマを生み出せる選手をより多く育てたい。
・・・、どうやら、私の夢見病は当分完治しないようだ。
      ■伝説の塾生
既に、複数名OBが社会に出て活躍して居りますが、全人庵で生活したことが 大いに役立っている事と思います。私は、横須賀拳闘塾「全人庵」の後輩に、 伝説の塾生の話をよくする、彼は大手の会社に勤めるサラリーマンで有った。 鹿児島県出身、青野公人、後にC級ライセンスを取得ボクシングを始めるには 少し遅いからと、会社を辞めて横須賀拳闘塾を開設したばかりの{全人庵}に 入塾。 彼は朝6時10分前に私の部屋に起こしに来て、6時からのロードワークのスター トに備える。一度も遅れたことが無い。横須賀中央から観音崎の手前、走水迄 の往復、15kmを走る。私は自転車で伴走するが走水の高台から望む霊峰富士 山の雄姿は、いつ見ても気持ちがいい。ロードワークが終わると「うみかぜ公園」 で、各種補助運動が始まる、このトレーニングもハードできつい、我慢と忍耐でこ なす、言い古された言葉だが根性がすごい、筋肉痛や多少の怪我では弱音を吐 いた事が無い。塾に帰るとシャワーの後食事の用意、掃除・洗濯とそのほとんどを こなす。当時の環境は今からは想像が出来ない程、草木が覆い茂り、各部屋も荒 れ放題で有ったが徐々に今の環境に仕上げた。 デビユー戦を控えジムでのスパーリング中事故に遭いテビュー戦のリングに上がる 事無く練習グローブをリングに残して引退をした。私がタイに出張中の出来ごとで有 った、近所の住人からの評判も良くその頑張りは伝説に値する。そしてその頑張りが 今の塾生に引き継がれている。 元WBOインターチャンピオン木村隼人や女子アマチュア選手権で連覇を飾っている 箕輪綾子は此処のOBで、台湾のナショナルチームの選手もここで練習をして好成績 を上げている。